2006年06月27日

◆精霊の王 (2003 講談社 中沢 新一)

◆精霊の王 (2003 講談社 中沢 新一)


◆精霊の王 (2003 講談社 中沢 新一)

 この本は、太古の昔から現代の日本社会へと、歴史を超えて脈々と伝えられている基層信仰の存在を明らかにしようとするものである。

 今でも信州の諏訪地方をはじめ日本各地の神社の境内や路傍にひっそり佇む石の神々、民俗学者・柳田國男の初期の著作である『石神問答』でも紹介される「ミシャクジ」、「シャグジ」とか「サゴジ」などと呼ばれる石の神々のことである。

 実はこの「ミシャクジ」、「シャグジ」、「サゴジ」はこの日本列島にまだ国家も神社もなく、神々の体系すら存在しなかった時代の「古層の神」「基層の神」を今に伝える痕跡ではないかとしている。

 さらに、この「古層の神」は中世あらゆる芸道の守護神とされる「守宮神(しゅぐじん)」(鎌倉時代の説話集『続古事談』)、「宿神(しゅくじん)」となり、太古の昔から人々の意識の地下水脈を流れ続けてきたのだと。

 中沢新一氏は、特に金春禅竹の『明宿集』に語られた猿楽の能の世界に注目。猿楽の能の世界の「翁」とは「宿神(しゅくじん)」であり、霊威激しい「大荒神」であり、天体の中心である「北極星」(宇宙の中心)と考える。

 そして、中世の芸能者が篤く敬った社堂の真後ろにあり前の神仏の霊力の発動を促しつづける神霊こそが、「守宮神(しゅぐじん)」「宿神(しゅくじん)」の変化した存在だとみる。

 日本列島にまだ国家も神社もなく神々の体系すら存在しなかった時代から、王権の発生と国家の形成は、神々の世界を体系化し、多種多様な神々の歴史を消し去ろうとするものであった。

 しかし、体系化し消し去ろうとしても、民衆の意識の中に歴史を超えて脈々と伝えられ続けた信仰は、日本各地の神社の境内や路傍にひっそり佇む石の神々「ミシャクジ」「シャグジ」「サゴジ」として、芸能者の「守宮神(しゅぐじん)」「宿神(しゅくじん)」として、「古層の神」「基層の神」として生き続けてきたのだと。

 太古の昔から現代の日本社会にも(特に芸能の世界に)、縄文の時代の基層信仰が生き続けていると教えてくれる良書である。基層の信仰に関心のある方にお勧めする。


スサノヲ(スサノオ)


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Posted by スサノヲ(スサノオ) at 00:00│Comments(5)スサノヲの日本学
この記事へのコメント
 なるほどこれが出鉄のもののけなのか。
Posted by 姫塚御前 at 2007年04月09日 22:55
 簡単に言うと、古事記、日本書紀に示されているイザナミ神が宿神だったのでは。
Posted by 嘉羅久利 at 2007年07月08日 19:40
出雲が、神々の国と呼ばれる理由の一つに神無月があると思う。10月は日本全国神無月だが、出雲だけは神様が集まる神在月だ。神様は何のために集まるのか、なぜ集まる場所が出雲でなければならないか、思えば不思議なこと。巷間で言われる縁結びがその答えになるとはとても思えない。
 このことについて、インターネットホームページで「出雲文化について」という大作を発表しておられる伊藤寿氏は、出雲の青銅器文化との関連を説く。以下に、その要約をご紹介したい。(独断により、随所に加除を加えたことをお断りしておくが、詳細は下記によられたい。)

神在月信仰神在月まめ知識

 出雲の航海・造船技術はどうやら他の地域と比べてもかなり優れていた。豊富な資源とその精錬技術は、地上の交通は獣道ばかりという当時の交通事情から考えれば、航海・造船技術の基盤の上に立ってこそ出雲王国は成立する。

 出雲がその航海技術を祭にまで引き上げ、年に一回ちょうど冬支度に入り長距離航海が出来なくなる10月あたりに全国の航海人たちを集めて航海・造船技術の伝達はもちろん、物産の交換・各地の情報交換を行ったのではないだろうか。その時のならわしが、今日まで残り、神在月伝承として広まったと考える。

 このことは出雲が大和から“黄泉の国”と呼ばれていたこととも関連する。青銅器の祭を現在の宍道湖近辺で行う時、太陽の光を浴びて多数の青銅器がきらめく姿が海面に映え、黄金色の泉に見えたことであろう。そして、出雲の死に対する考え方、死んでも出雲の大地にとどまるという思想が、死の国イメージを与えたのであろう。

 出雲では、神在月の頃に稲佐の浜にあがってくる海蛇を神の使いとして信仰する竜神信仰がある。この海蛇は、セグロウミヘビといい、背が黒色をしている。注目したいのは、脇腹の色で、金色をしている。これが青銅器のイメージにあわせてこの海蛇が選ばれた理由と考えられる。

 御諸山の神は蛇の化身であったといわれている。この神は青銅器の航海技術を伝えた人物と解釈することもでき、セグロウミヘビを祭る竜神信仰、そして青銅器祭祀を暗示しているような気がするのである。


 この説を読んで、10月を日本海の荒波の打ち寄せる前と考えたこと、および船に着目したことについて伊藤氏の慧眼に敬意を表したい。ただ、航海・造船技術の修練としたことをもう少し発展させて考えてみたいと思う。

 私の考えはこうだ。
 10月が日本海の荒波の押し寄せる直前の季節ということで時期を意味付けたことを発展させると、船に関係する。この船だが、通商と広く考えるより、出雲からなくてはならない大切なものを全国に出荷していたのが、冬は出荷できなくなると考えたらどうだろうと思った。そう、鉄である。大変重く、精錬後の鋼塊も山から川舟を使って斐伊川を下ったようだ。
 
 古代における鉄の重要性は大変なもので、農耕具として、武器としてその価値を認められ飛躍的にその需要は増し、その生産技術は向上し、広まっていった。この製鉄法は、朝鮮半島から伝わってきた。伽耶諸国の中に鉄を産する地域があり、倭国を含め近隣諸国がこぞってこれを買い求めたことが記録にある。鉄片は鉄ていと呼ばれ、鉄製品の原料として利用されるにとどまらず、その価値の大きさから貨幣としても利用されたようである。伽耶諸国が小国にもかかわらず強力であったのは、通商国家としての富の蓄積のほか鉄の生産に優れていたのではないかと考えられる。
 ところが朝鮮半島では鉄の生産が難しくなってしまった。それは燃料としての森林伐採が大規模に進んだ結果、山が丸裸となり燃料資源の枯渇が進んだためであった。朝鮮半島は列島に比べ、年間平均気温も低く、年間降雨量も少ない。緑の復元には多くの時間を必要としたのである。このことから、鉄精錬技術者が半島から列島へ、とりわけ出雲を中心とする山陰地方へ集団移住することとなった。

 スサノオもアメノヒボコもともに金属精錬と関わり、ヤマタノオロチ伝説はまさに斐伊川上流で行なわれた製鉄が下流に大量の土砂を押し流し、あるいは鉱滓が鉱毒となり農耕民を苦しめたことの反映ではなかったかと思う。

 安来がタタラ製鉄で名高く、全国への積出港としてながくその歴史を保ち、今なお世界中のカミソリの刃の原料の6割は当地で生産されると聞き、あらためて歴史の重みを覚えたものである。

 秋口10月は、日本海の荒れる冬の直前で、船の往来が困難となる前に多くの船が鉄を買い取りに出雲に集まってきたのではないかと考えたがいかがであろう。

 それと、これまでの話は現実の世界の話だが、神様が集まるということの中には、やはり精神世界の意味についても考えるべきと思う。その意味でも、青銅器の祭と竜神信仰を着想された伊藤氏には敬意を表したい。

 私の考えはこれに加えて、より直截にイザナミの死を考えたいと思う。イザナミはオノコロ島をはじめとする大八洲を生み山川草木を生み、また山の神、大山津見や穀物の神オオゲツ姫など多くの神々の母でもあった。その母が亡くなったら、子である神々が集まり嘆き悲しむのは自然である。イザナミ終焉の地は、日本書紀では熊野の有馬村だが、古事記では出雲と伯耆の境の比婆山となっている。

 佐太神社では、11月20日から25日(旧暦を陽暦に改めたもの)までを神在祭とする。社伝によれば、イザナミ神の去った旧暦10月に八百万の神々が当社に参集されるので、厳粛な物忌みがなされるところから、神在祭は“お忌み祭”(お忌みさん)ともいう。この祭には必ず龍蛇が現れるというから、先ほどのセグロウミヘビとは直接につながっていそうである。

 イザナミ神との関連をより明確にする神社は、神魂(かもす)神社である。当社は、祭神としてイザナミ神を祀り、10月11日に全国の神々が集まり18日まで滞在されるため、亀甲の中に[有]を書いて神紋としている。 

 神様の出発地として名高い万九千(まんくせん)神社では、17日から26日までを神在といい、神様方は最後に当社に集まり幽議の後、26日に諸国の神社へ帰国する。この日をカラサデ(神等去出)といい、鎮座地は神立(かんだち)の地名となっている。

 以上のとおり、出雲の神在祭とはイザナミ神の葬儀であり、全国の神々が出雲に集まったから出雲は神在月となり、他の諸国は神無月となったのであろうと考える。
Posted by 古都 at 2007年07月30日 23:01
 出雲風土記にラピュタの飛行石の話がのっていると聞きました。安来あたりにある天石楯だということです。
Posted by 鐵八束巨神兵の記憶 at 2008年03月16日 22:53
薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸に四隅突出墳丘墓が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
Posted by 考古学ファン at 2008年10月26日 12:45
 
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