2006年06月30日

◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(五)




◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(五)

◆◇◆民間信仰・伝承におけるスサノヲ命、なぜ宮廷神話・祭式に取り込まれたのか?

 『出雲国風土記』には、スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)の説話は、意宇郡安来郷(おうぐんやすきのさと)の国巡りをした話、大原郡佐世郷(させのさと)の佐世の木の葉を髪に挿して踊った話、大原郡御室山(みむろやま)で御室を造った話、飯石郡須佐郷(すさのさと)でこの国は小さい国であるがよき国であると詔りたまいた話などが見える。

 さらに、スサノヲ命は七柱の出雲の神々の親神として、出雲の全域の伝承として語られている(延喜以前には、崇拝圏は出雲一円はおろか、隠岐、備後、播磨、紀伊におよび、広範囲にわたる)。

 出雲系巫覡の徒の活動により、スサノヲ命のみならず、オホナムチ、スクナヒコナ、アジスキタカヒコネなど出雲系の神々や、そうした出雲系の神々に纏わる伝承(大蛇の人身御供譚、山ノ神の木種播き譚、蓑笠をつけ宿を請う説話(武塔神の説話との共通性)、国作り説話、医療禁厭の法の伝え)が地元の伝承・古俗とも習合し、歌謡や語り部の語りの題材に取り上げられ、地域を越え、氏族を越え、広大な崇拝圏を持ち、民衆に絶大な人気を持って崇拝されていた。

 スサノヲ命の『記・紀』神話における巨大さは、スサノヲ命の信仰圏の広さと民間信仰・伝承における人気によるものであり、こうした民間での広い人気ゆえに、朝廷では、スサノヲ命を高天原と出雲の神話世界の両界にまたがる神格と見なし、皇祖神・アマテラスの弟に仕立て上げ、さらにはスサノヲ命を邪霊・魔神とすることにより、朝廷の権威を強調する宮廷神話・祭式に取り込んだとも考えられそうだ


スサノヲ(スサノオ)  


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2006年06月30日

◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(四)




◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(四)

◆◇◆『出雲国風土記』におけるスサノヲ命、民間的色彩の濃い神

 『出雲国風土記』(天平五年・七三三年、監修者:出雲国造臣廣嶋、ほぼ完本の姿で残されている唯一の風土記)におけるスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)は、「神須佐能袁命(かみすさのをのみこと)」「神須佐乃烏命(かみすさのをのみこと)」などと表記され、四箇所に登場する。

 『出雲国風土記』に登場するスサノヲ命は、すべて素朴で平和的な地方神として現れ、『記・紀』のスサノヲ命とは、まったく異なったイメージを与える。

 意宇郡安来郷(おうぐんやすきのさと)では、「壁(かき)を立て廻らし、『吾が御心安平(やす)けくなりぬ』」(国巡りをした話で、ここに来たとき、心が落ち着くと言ったので「安来」という地名が付いたとしている)と、大原郡佐世郷(させのさと)では、佐世の木の葉を挿頭(かざ)して踊ったとあり、大原郡御室山(みむろやま)では、御室を造って宿ったとあり、また飯石郡須佐郷(すさのさと)の条には、「神須佐能袁命(かみすさのをのみこと)の詔りたまひしく、この国は小さき国なれども、国処(くにどころ)なり。故(かれ)我が御名は木石に著けじ、と詔りたまひて、即(やが)て己命(おのがみこと)の御魂を鎮め置き給うひき。然して即(やが)て大須佐田・小須佐田を定め給ひき。故(かれ)須佐といふ。即ち正倉(みやけ)あり」とある。

 『出雲国風土記』にあるような出雲固有の伝承では、『記・紀』神話とは違い、スサノヲ命は、のどかで穏やかな情緒を持つ存在だ。

 出雲での平和な姿を、原初的で本来的内性(真の形相)とし、その神名は地名(出雲及び紀伊)の須佐から「須佐の地の男神」を意味するとする説がある。

 しかし、この飯石郡の山奥の僻地の神が、スサノヲ命の原像であるとすると、いったい何故に、『記・紀』神話の「高天原」説話のなかで、あれほどの巨大な神として扱われたかは不可解なことになる。

 その理由については、さまざまな説があるが、スサノヲ命と武神のイメージの強い御子神(都留支日子命、衝桙等乎与留比古命など)の性格が合わさったためとか、飯石郡須佐郷の須佐氏族(神須佐能袁命=かみすさのをのみことの祭祀家、この地には式内社の須佐神社が鎮座する)が出雲国造家(出雲で法王的存在)と、政治的に密接な地位にあったとされ、大和朝廷からも軽視できない存在とされたとか、スサノヲ命の崇拝が、飯石郡の山奥の僻地の神に止まらず、出雲国の内外に広く拡布され、民間に広く親しまれた神とされたためであるとか、いずれにしても、朝廷は『記・紀』編纂に際し、スサノヲ命の存在を素朴で平和的な地方神ではなく、巨大な神として大きく扱わざるを得なかったようなのだ。


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2006年06月30日

◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノオの謎(三)




◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノオの謎(三)

◆◇◆高天原におけるスサノヲ命と、出雲におけるスサノヲ命

 出雲におけるスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)と、高天原におけるスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)は、その成立・内性・機能の上でも大変な相違がある。

 出雲におけるスサノヲ命は民衆の間に成長してきた民俗的な神(出雲系巫覡の徒の活動により、民衆に絶大な人気を持って崇拝されます)であり、高天原におけるスサノヲ命は、宮廷で作り出した政治的理念の神(政治的潤色による神)で、古くからあった宮廷の農耕儀礼の邪霊役が拡大されてスサノヲ命に結び付られたり、またイザナギ・イザナミ神話のヒルコ(水蛭子・蛭児、ヒルコの内性については、滝沢馬琴が唱えた太陽神・日子など、さまざまな説がある)などの内性が、スサノヲ命の性格の上に加上されていったりして、出来上がった姿(神格)とも考えられる。

 スサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)が、宮廷の農耕儀礼の邪霊神・魔神と結び付られる要因(出雲のスサノヲ命と高天原のスサノヲ命を結びつける共通点・共通の観想の存在・同一視される内性)として、ともに「根の国」の神としての存在にある。

 「根の国」は、後世では、根の国、底の国と呼ばれ、地下の死者の国であり、陰惨な汚穢の国とイメージされた。これは、政治的理念による作為(屈従・圧服した政治・文化・宗教を持つ大きな勢力として、善と悪・光明と暗黒・生と死の二元的世界観や他界の方位として)なのか、『記・紀』神話により、出雲は冥府・他界・死者の国・根の国と結びつけて語られる。これは出雲神話の大きな謎である。

 「根の国」は、古くは海の果ての他界(沖縄のニライカナイと同系)・常世国であり、死霊・祖霊の往き留まる国であり、またあらゆる望ましきもの、生命、豊饒に満ちた光明世界であったようなのだ。

 出雲と共通の神社や地名、伝承や説話が多くある紀伊では、紀伊海人にとってスサノヲ命(須佐之男命・素盞鳴尊)は、元来紀州沿岸の漁民の奉じた海洋的な神であり、海の果ての根の国から舟に乗り、豊饒をもたらすマレビトであったようなのだ(もしかすると、スサノヲ命の本貫は紀伊であったのか?)。

 スサノヲ命は、本来の海洋性が薄れてからも、樹木の生成、穀物の豊饒といった豊饒の霊格(神徳・神威)を持ち、民衆の崇拝・信仰を集めたと考えられている(紀伊の熊野大神の名はケツミコ、出雲の熊野大神の名はクシミケヌであり、ともに穀神をあらわす神名。スサノヲ命とは別神であるとする説もあるが)。

 その後、紀伊海人が大和朝廷の対韓交渉を担い、しばしば行われた韓土への渡航(交易や外征)を通じ、大陸系のシャーマニズム風の英雄神、鍛冶神、刀剣神などの要素がスサノヲ命に加わったと考える学者もいる。


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2006年06月30日

◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(二)




◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(二)

◆◇◆天皇家の祭祀、大祓(おおはらえ)の儀、高天原神話とスサノヲ命

 『大祓祝詞』のなかで、「天つ罪(天津罪)」として挙げられる数々の重大な罪穢れ(畔放ち、溝埋め、重播種子、生剥、逆剥、屎戸など)は、一切スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)が天上界(高天原)で犯したものとされる。

 スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は『記・紀』神話の「高天原」説話において、農耕妨害や神聖冒涜の罪(「天つ罪(天津罪)」)を犯し、まさに悪や禍事(まがごと)の元祖として、天上界(高天原)の秩序を破壊する巨魔的な存在として描かれる。

 スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は、その罪ゆえに千座置戸(ちくらのおきど)を科せられ、髯を切られ、手足の爪まで抜かれて、天上界(高天原)から追われる(神やらひ)。しかし、地上界では、一変してすこぶる平和な英雄神であり、文化神となり、八俣大蛇(やまたのおろち)を退治する。

 「高天原神話」のスサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)の姿は、大祓(おおはらえ)の儀で「天つ罪(天津罪)」の罪穢れや災厄の担い手として、川に流される人形・形代そのものの神格化である。

 『大祓祝詞』では、こうした一切の罪穢れは川を経て大海原に運ばれ、最後には根の国・底の国にいる速佐良比咩(はやすさらひめ)に始末してもらうと語る。

 しかし、宮廷での大祓(おおはらえ)の儀の縁起譚を、出雲の祖神・スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)に結びつけたのは、それほど古い時代のことではなく、出雲神話があのような形で、『記・紀』神話の神代史の中に入り込んだ『記・紀』編纂の時代になされた仕事であると思われる。

 スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は、高天原神話と出雲神話を繋ぎ、最終的に高天原の統治の正統性と正当性を確証するための神格として、スサノヲ命(須佐之男命・素盞嗚尊)は大きく拡大されていったのかもしれない。

☆天つ罪:古代から言い伝える罪 「高天原」神話での罪

(1)畔放ち(あはなち):田のあぜを破壊すること 田がこわされる 暴風の災害
 
(2)溝埋み(みぞうみ):溝を埋めること 水が通わなくなる 暴風の災害

(3)樋放ち(ひはなち):木で作った水の通路を破壊すること 暴風の災害

(4)頻撒き(しきまき):かさねて種子をまくこと 人の犯す罪

(5)串刺し(くしさし):他の田に棒をさし立てて横領すること 人の犯す罪

(6)生け剥ぎ(いけはぎ):生きたままの馬をはぐこと 暴風の災害

(7)逆剥ぎ(さかはぎ):馬の皮を逆にはぐこと 暴風の災害

(8)屎戸(くそへ):きたないものをまき散らすこと 暴風の災害


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2006年06月30日

◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(一)




◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲの謎(一)

◆◇◆大祓の儀と大祓の祝詞、スサノヲ命の謎

 六月三十日はちょうど一年の折り返し点だ。大祓というのは毎年六月と十二月の晦日に、宮中より始めて全国の神社で執行する儀式で、神社などでは年二回の大祓の儀式を行う。

 私達が平素犯した罪や触れた穢、また他より仕向けられた災難悪事のあったのをきれいに祓い清めて、心身共に清浄にするものである。半年の罪や穢れを祓い、清々しい心で残り半年を迎えるための行事だ。

 平安時代には、この日に御所の朱雀門に皇族らが集まり、大祓詞(おおはらえのことば)が中臣氏によって奏上され、国民の罪穢を祓う行事が行われる。しかし、中世の戦乱時に衰退していたが、明治四年再興され、現在に至る。

 大祓の祝詞は、『大祓祝詞』といい、中臣氏がこれを読んだので別名「中臣祓詞」、「中臣祓」、「中臣祭文」という。

 その内容は、いかに穢れが神の力によって祓われて、除去されていくのかが述べられている。後半の罪穢れが異界へと運ばれてゆく件は、『古事記』『日本書紀』とは異なった宇宙観・神話世界が説かれている。

 「高天原に神留り坐す皇親・神漏岐・神漏美の命以て、八百万神達を神集へ に集へ賜ひ、神議りに議り賜ひて、我が皇御孫之命は、豊葦原の水穂の国 を、安国と平けく知食せと事依さし奉りき・・・(中略)・・・如此持ち出て往なば、荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す速開 都比羊と云ふ神、持ち可可呑みてむ。如此可可呑みてば、気吹戸に坐す気 吹戸主と云ふ神、根国底之国に気吹き放ちてむ。加此気吹き放ちてば、根国底之国に坐す速佐須良比羊と云ふ神、持ち佐須良比失ひてむ」

 といった祝詞で、内容的には『記・紀』神話の「天孫降臨」説話から説き起こして、この世の中にある種々諸々の罪や穢れ、こうした一切の罪穢れは、天や地の神々の力により川を経て大海原に運ばれ、海では更に海の神の力で根の国・底の国へ送ってしまい、更に根の国・底の国では速佐良比咩(はやすさらひめ)に始末してもらうといった内容だ。


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2006年06月30日

◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(六)




◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(六)

◆◇◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想、『記・紀』神話にみる禊祓の起源(3)

 『古事記』神代巻によれば、スサノヲ命(スサノオ命・須佐之男命・素盞鳴尊)は高天原において乱暴狼藉を働き、数々の罪を犯したとしている(農耕を妨害する罪)。こうした罪と、『大祓詞』に列挙されている天つ罪(天津罪)とは符合する。

 また罪を犯すと、その償いとして多くの贖物(あがもの)を出さなければならないが、これを千位置戸(ちくらのおきど)という。これは全財産を没収されることを意味しる。

 しかし、スサノヲ命の犯した罪は、千位置戸をもっても埋め合わせることが出来ず、髭や手足の爪を切られ、遂に高天原を追放されることになる。

 これがわが国における「祓」の起源であるとされる。このように『古事記』神代巻で、スサノヲ命が大きな祓(大祓=おおはらえ)を科せられたとする描写は興味深い。

 さらに、『日本書紀』神代紀(一書第三)では、スサノヲ命が高天原を追放されていく様子を詳しく伝えている。それによると、「時に、霖(ながめ)ふる。素戔嗚尊(すさのおのみこと)、青草を結束(ゆ)ひて、笠蓑(かさみの)として、宿を衆神に乞ふ。衆神の曰(いは)く、汝は是躬(み)の行濁悪(けがらは)しくして、逐(やら)ひ謫(せ)めらるる者(かみ)なり。(中略)遂に同に距(ふせ)く。是を以て、風雨甚(はなは)だふきふると雖(いへど)も、留(とま)り休むことを得ずして、辛苦(たしな)みつつ降りき。(中略)笠蓑を著(き)て、他人の屋(や)の内に入ることを諱(い)む。又束草(つかくさ)を負ひて、他人の家の内に入ることを諱(い)む。此を犯すこと有る者をば、必ず解除(はらへ)を債(おほ)す。此、太古の遺法なり。」と記す。

 『日本書紀』神代紀におけるスサノヲ命の姿は、すなわち「青草を結束ひて、笠蓑とし」「辛苦みつつ降り」ていく姿は、あたかも辛酸を嘗め惨めな姿で流浪する悪神をイメージさせる。

 また「笠蓑を著て、他人の屋の内に入ることを諱む。又束草を負ひて、他人の家の内に入ることを諱む。此を犯すこと有る者をば、必ず解除を債す。此、太古の遺法なり」とあり、この箇所は「大祓」と深い関係にあることを示してる。

 『大祓詞』の最後にも、天下四方(あめのしたよも)の罪を背負って、根国・底国を流浪する速佐須良比咩(はやすさらひめ)という女神が登場しますが、この女神は、あたかもスサノオ命のイメージではないかと考えられるのだが…。

 しかし、『古事記』神代巻によれば、その後、出雲国に降ったスサノヲ命は、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を得ると、高天原の天照大御神にそれを奉献し、櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚して八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)を生み、まさらに神大市比売(かむおおいちひめ)を妻にして大年神と宇迦之御魂神(うかにみたまのかみ)を生むなど、多くの子孫をもうけたとある(国津神の系譜の始まりであり、スサノヲ命は国津神の祖神とされる)。

 高天原において悪神とされたスサノヲ命も、一転して出雲国では勇敢な英雄神・文化神という善神へと生まれ変わるのだ。つまりこうした「祓」を経たことにより、スサノヲ命は新しく生まれ変わることが出来たと語るのである。

 ここに「祓」の本義を読み取ることが出来る。このように、『記・紀』神話は神代の世界を通して、神道儀式の禊や祓の由来とその意味を説明しようとするのである。

 そして『記・紀』神話は、わが国における天津神(高天原の神々)の宗教的権威の絶対性(皇祖神・天照大御神)と、天皇家(天孫族)による統治の正当性・正統性とを、あらためて神話の世界を通して示すのである。


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2006年06月30日

◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(五)




◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(五)

◆◇◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想、『記・紀』神話にみる禊祓の起源(2)

 「祓(はらえ)」の起源は、「祓」も「禊」と同じく人間を不幸にする罪や穢れを除去する神道の重要な儀式の一つである。しかし、「祓」の場合は「禊」のように水を必要とせずその代わりに罪穢れを贖うための料(りょう)として差し出す祓具(はらえつもの、祓物・祓柱・祓種=はらえつぐさとも)を用いる。

 大祓の神事(6月と12月に行われる祓えの神事)に祓具として差し出す形代(かたしろ)・人形(ひとがた)などがそれである。それらの祓具で体を撫でて又は息を吹きかけ、それに罪穢れを移して川や海に流す。

 因みにこれらを体を撫でることから撫物(なでもの)ともいいう(「禊」は自らの浄化儀礼で、「祓」は他者あるいは自分を含む集団に対する浄化儀礼であるとも考えられる。この禊・祓に対するものが穢れであり、これには不浄物のほかに災厄や他の世界に属するもの=俗なる物・死などが含まれる)。

 大祓においては、『大祓詞(おおはらえのことば)』を読み上げる(天皇・朝廷が大祓を行うことによって、国中のすべての罪穢れが祓われるとした。大祓は天皇・朝廷にとって宗教的権威・宗教的支配の象徴でもある)(※注1)。

 大祓詞には人間の犯した、また犯すであろう諸々の罪が列挙されている。そして、それらの罪という罪がどのような道筋を辿って祓われて行くかが述べられている。

 それは、人間が犯した罪は、瀬織津姫(せおりつひめ、激つ速川の瀬に坐す)という神によって川から海へ運ばれ、次に速開都比咩(はやあきつひめ、荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百に坐す)という神によって、海へ運ばれてきた罪がすっかり呑み込まれる。

 次に伊吹戸主(いぶきどぬし、伊吹戸に坐す)という神によって、それらの罪が息吹き散らされて根の国の方へ吹き込まれる。

 すると速佐須良比咩(はやすさらひめ、根の国・底の国に坐す)という神によって、それらの罪が背負われて、当所(あてど)なく流離(さすらい)いながら失われてしまう。このように流離いながら失わせて下さるので、罪は無くなってしまうと記されている。

 つまり人間の犯した諸々の罪は、この四神(瀬織津姫、速開都比咩、伊吹戸主、速佐須良比咩)によってすっかり祓われてしまうところから、これらの四神を祓戸(はらえど)の神という。

 中でも速佐須良比咩(はやすさらひめ)ついては、「根の国・底の国に坐す速佐須良比咩と云ふ神、持ちさすらひ失ひてむ」と記されており、これは「速(はや)流離(さすらひ)姫」の「ひ」を一音省略した形と考えられ、流浪する、漂浪する意味にもとれ、罪穢れを持って流離の旅を続ける女神と解釈できる。

 根の国・底の国は精霊の世界、黄泉の国は死の世界、いずれも地底・地下の世界と考えられ、後には概念が混淆していく世界である。

 古代人の世界観では根の国・海祇(わたつみ)は罪が流れ着き集積する世界(一方で豊穣をもたらす世界であり、マレビト神が住むとされる世界でもある)であったのだ。

 さらに、根の国・底の国と速佐須良比咩の神名から想像するに、そこには罪穢れを背負って流浪するスサノヲ命(スサノオ命・速須佐之男命・速素盞鳴尊)がイメージされてたと考えられる(スサノヲ命の娘・須勢理毘売とも)。

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1) 神道がその宗教体系をはっきり形としたのは奈良時代初期、天武天皇の時代である(古典神道の成立)。天武天皇は各氏族・皇族の記録や伝承を編纂し、神道のもととなる神話を整理したのだ(『記・紀』神話の成立)。

 この『記・紀』神話には、天皇による日本の統治の正当性と正統性を示すほかに、当時国家の基盤であった稲作の重要性についても触れられていた。神道の祭りや儀礼に稲作との関連が強いのはこのためである。この後朝廷は政府の職に神祇官を設け、同時に全国に神社を建立する(神祇神道の成立)。

 神道はこのような発祥基盤を持つため、宗教というよりは政治に近かったのである(天皇を中心とする律令国家の政治政策としての色彩が強い)。


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2006年06月30日

◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(四)




◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(四)

◆◇◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想、『記・紀』神話にみる禊祓の起源(1)

 『記・紀』神話にみる「禊祓」の起源については、(イザナギ命・伊邪那岐命・伊弉諾尊)が竺紫の日向の橘の阿波岐原にある小戸(をど、小さな水門)で黄泉の国の穢れを除くために禊祓を行ったという記述がある。

 『古事記』には「吾はいなしこめしこめき穢き国に到りてありけり。かれ、吾は御身の禊せむ、とのらして、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に到りまして、禊祓したまひき。」と記している。

 これは汚い黄泉の国から脱出してきた伊邪那岐命が「私は何と汚い国へ行ったものだ、禊をしよう」といい、小さな水門で禊祓をしたという事だ。

 いよいよ禊を行うにあたって、伊邪那岐神は身に付けていた物をことごとく投げ棄てる。その時投げ棄てたのは、御杖・御帯・御嚢・御衣・御褌・御冠・左の手纒・右の手纒等で、これらから十二柱の神々が生まれたとされている(神道ではこの時に諸々の祓戸の大神達が誕生したことになっている)。

 このように、身に付けていた物をことごとく脱ぎ去っている事から、「禊」の起源は「身削き」とするも説がある。また、水中に身を投じ身を振りすすぐ事、これら全部が「身削ぎ」との説もある。(※注1)

 「ミソキ」とは現在一般に「禊」の字を当てているが、古くは身曾貴・身祓・潔身・身滌等と表記されていた。特に「滌き」は、アラフ・ウゴカス・ススグ・ソソグ・ハラフ・キヨシとも読む事が出来る。

 これらの読みからも分かるように「滌き」とは水中に身体を浸してゆらゆらと振り動かす事である。つまり身体を振るって罪穢れを洗い落とす事だ。

 それは単に衛生上のためだけでなく、そうする事により魂を純潔無垢の状態に立ち返らす効果があったのである。つまり、水中で身体を振ることは、一種の魂振り(たまふり、鎮魂)の所作なのだ。(※注2)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※注1) 『記・紀』神話(『古事記』と『日本書紀』)によると、伊邪那岐大神(イザナギ命・伊邪那岐命・伊弉諾尊)は竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の阿波岐原(あわぎはら)にある小さな水門(みなと)において、黄泉(よみ)の国の穢れ(けがれ)を除くために「禊祓(みそぎはらえ)」を行った。このことが一般に「禊(みそぎ)」の起源であるといわれている。

 ところが、『記・紀』神話の内容を詳しく見てみると、実はそこにおいては「禊」だけでなく、「祓」も行われていたのである。

 すなわち『古事記』には次のように記されている。「吾(あ)はいなしこめしこめき穢(きたなき)き国に到りてありけり。かれ、吾は御身(みみ)の禊(みそぎ)せむ、とのらして、竺紫の日向の橘の小戸(をど)の阿波岐原(あきばら)に到りりまして、禊祓(みそぎ)したまひき」。

 これは、汚い黄泉の国から脱出してきた伊邪那岐大神が「私はなんと汚い国へ行ったものだ、禊をしよう」といわれて、竺紫の日向の橘の阿波岐原にある小さな水門(みなと)、つまりに朝日のよく当たるところの水門において禊祓をしたということである。

 そして禊を行うことになるが、その前に伊邪那岐大神は、身に付けていた物をことごとく投げ棄る。このときに投げ棄てたのは、御杖・御帯・御嚢(みふくろ)・御衣(みけし)・御褌(みはかま)・御冠(みかがふり)・左の手纏(たまき)・右の手纏などであった。これらから十二柱の神々が誕生したとしている。

(※注2) 日本人の罪悪感を表す言葉に、「罪(つみ)」と「穢れ(けがれ)」がある。この二つの言葉は、いうまでもなく宗教的な意味合いで使用されるが、同時に倫理的・道徳的な立場においても用いられる。

 この罪や穢れを捨て去って、心身ともに清らかに立ち返るために行われる神道的儀式が、「禊(みそぎ)」と「祓(はらえ)」である。

 禊と祓は、神道の根本的思想をなす儀式として重視されてきたが、その思想が広く日本人の生活の中に現在も活かされていることは、注目すべきことである。


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2006年06月30日

◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(三)




◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(三)

◆◇◆「夏越の祓(水無月の祓・六月の晦の大祓)」と「禊祓」の神道思想、神社と大祓の儀

 『神祇令』には6月・12月の晦日に、中臣が御祓麻(おおぬさ)を奉り、東西の文部が祓の刀を奉って祓詞を読み、百官の男女が祓所に集合して中臣が祓詞を読み、卜部が解除(はらえ)をすることが規定されている(律令制下で国家的・公的行事として大祓式行われた)。

 『儀式』や『延喜式』でも、朱雀門に百官の男女をはじめ、天下万民が集まって祓えを修したと記している(大祓は大嘗祭のときや、触穢・疫病・天災地変があったときに行われる)。

 しかし、中世以降衰退するが、ことに応仁の乱以降、戦国の世になって廃絶したが、宮廷では元禄四年(1691年)以降、内侍所清祓として復興し、明治四年に至って賢所前庭神楽舎を祓所にあてて行われるようになった(明治五年六月、大祓式の儀式次第が府県に達せられ、大正三年二月内務省訓令で官国弊社以下神社における大祓が定められた)。

 一方、民間でも6月の大祓、夏越の祓(なごしのはらえ)・水無月の祓(みなつきのはらえ)・おんぱら祭などと称して、茅の輪を作ってこれをくぐり、また人形を河海に流す等の祓えの行事は、宮廷行事として行われた時代においても広く行われていた(元来は常に清浄を希求する日本民族の国民性に発した民俗行事であった)。

 これが神社では一層盛大に恒例化して、今も全国神社では大祓は年中行事となっている。六月晦日の夕刻、神社の境内では竹を立て、高さ六尺くらいの茅の輪を作って、それをくぐることによって祓の儀とする。

 このように全国に広く行われているのは、他では絶えた固有の民俗行事も神社はそれを保存伝承する役割を担ってきたからである。(※1)

※参考Hints&Notes(注釈)☆彡:*::*~☆~*:.,。・°・:*:★,。・°☆・。・゜★・。・。☆.・:*:★,。・°☆

(※1) 古来人々は不浄(穢れ)を忌み嫌い、清浄であることをもっとも重視した。そのため穢れを取り除く方法として、「禊」が行われたと考えられる。

 つまり、「禊」とは塩水に浸かって体を洗い浄めることであった。塩水は古くから罪や穢れを浄める力があり、海に通じる清流や滝もその代わりで、あらゆるものを洗い浄めると信じられていたのである。

 そのため、禊の場に清浄な海浜や川が選ばれ、その際、手には麻の葉、茅草などを持って行われたという(お弔いのときの塩まきや、相撲力士が土俵でする塩まきも、禊=お浄めである)。

 また『記・紀』神話には、「禊祓」の起源といえそうな説話として、イザナギ命=伊邪那岐命の竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原での禊祓(常闇の黄泉の国の穢れを祓うため)と三貴子誕生の説話が記されてる。

 他にも、スサノオ命(スサノヲ命・須佐之男命・素盞鳴尊)が高天原で天津罪を犯し、祓えと祓物(千座置戸)を出す説話が記されている(農業妨害の罪の祓)。

 さらに大国主命の「八千戈の神語歌(かみがたり)」の中で、黒御衣・青御衣・赤御衣を次々に脱ぎ替え投げ棄てて、海辺で禊祓の儀式のようなことを行っている。


スサノヲ(スサノオ)  


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2006年06月29日

◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(二)




◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(二)

◆◇◆「夏越の祓(水無月の祓・六月の晦の大祓)」と「禊祓」の神道思想、茅の輪くぐりと和菓子の水無月

 早いもので、今年も、もう六月(半年)の半ばである。一年の折り返し、節目時の到来である。京都や奈良のそこここの神社に大きな茅の輪(ちのわ)を見かけるのも、この時期である。

 6月30日に、このイネ科の多年草「茅萱(ちがや)」で作られた茅の輪をくぐって半年間の穢れを祓い息災を祈る神事が、「夏越の祓(なごしのはらえ)」だ。

 この夏越の祓は「水無月の祓」とも呼ばれ、「水無月(みなずき)の夏越の祓する人は 千歳の命 延ぶというなり」と平安時代から詠われていた。

 すでに天武天皇の時代から六月晦の日に、内裏朱雀門に天皇以下百官が集まり、茅の輪の祓物をくぐって邪気を払ったとされている。

 1月から6月までの穢れを祓った後、7月から12月の残り半年分の穢れを、以前は12月大晦日に「年越の祓」として、宮中や各地の神社で大祓が執り行っていた。

 日本では古来より、清浄を重んじてきたが、日々の暮らしの中で知らず識らずのうちに不浄に触れ、過ちを犯すこともあった。清浄であるべき身や心は、こうした罪や穢れによって濁ってしまうと考えられていた。

 そこで1年に2度、心身のこうした罪や穢れを祓い清めて、直く正しく清々しい神ながらの人間生来(しょうらい)の姿に立ち返り、気持ちも新たに明日の生活がより良いものとなるようにとの祈りを込めて行う禊の神事が大祓なのである。

 ところが年を追うごとに「年越の祓」(「除夜祭」ともいわれる)の行事より、6月の夏越の祓だけが盛大に行なわれるようになって行く。

 来るべき夏の暑さや、木の芽立ちの疲れに備えて、知らず知らずのうちに人々の間で、夏越の祓いは節目の風習としてとして、定着していくのである。

 この夏越の祓では、「茅の輪」をくぐって禊をし自らを清めたり、身代わりの形代(紙を人の形に切り抜いたものなど)に託した罪や穢れを川や海に流して祓い清めたりする。

 また人間だけでなく、牛や馬なども海水に浸かる。神社によっては名前や年齢を書いた人形をそのまま海や川に流すのではなく、灰にしたり、茅で包んだりするなどして流すところもあるそうだ。

 6月(旧六月)は「水無月(みなづき)」と書くが、ちょうど梅雨時分のこと、水が無いわけはない(「無」は「な=の」の「万葉仮名」)。

 もとは「水の月」であり、田んぼに水を注ぎ入れ田植えを始める月であることを示している。すると、10月(旧十月)の「神無月(かんなづき)」は、「出雲に神々が集まり、他国には神がいなくなる月」ではなく、旧十月は収獲祭を行ない神に感謝を捧げる月という意味の「神の月」であったのであろう。

 ちなみに、この6月にはその名も「水無月」という和菓子(生菓子で三角の外郎生地に小豆をのせたもの。水無月の三角形は氷室の氷を表し、小豆は悪霊払いを意味を表しているそうだ。6月朔日に氷室の氷を口にすると夏痩せしないといわれた)が京都で知られている。

 和菓子の「水無月」は、6月30日の夏越の祓(なごしのはらえ)に食べるものとされ、これによって災いを祓い、ひと夏の無事息災を祈ったのである。


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2006年06月29日

◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(一)




◆「夏越の祓」と「禊祓」の神道思想(一)

◆◇◆「夏越の祓(水無月の祓・六月の晦の大祓)」と「禊祓」の神道思想

 「禊(みそぎ)」と「祓(はらえ)」は神道の基本(根本思想)となるものである。「禊」は、身の穢れを取り除いて浄め、神に近づくに相応しい身になるためのものである。また「祓」は、神に祈って心の穢れを取り払う神事である。しかし今は、その両方を合わせて単に「禊」「祓」といわれる(穢れが取り除かれた状態を「ハレ」という)。

 その祓(はらえ)の中でも、6月と12月の大祓(おおはらえ)は特に重視される。12月大晦日の大祓を「年越しの祓」というのに対して、6月の晦日(30日)の大祓を「夏越の祓(なごしのはらえ)」という。平安時代には、大内裏の朱雀門で百官万民の罪穢れを祓う行事が行われた。

 今でも数多くの神社で「夏越の祓(なごしのはらえ)」が営まれ、「茅の輪くぐり」の祭事が行われている。茅(かや)で作った大きな輪を鳥居の下や境内に置き、その下をくぐると罪や穢れが祓われるとされる。

 また、神社から配られた人形(ひとがた)に名前と年齢を書き、それで体を撫でたり息を吹きかけて穢れを移し、神社に奉納する形式もある。その人形は水に流すのが基本である。特に、京都の賀茂神社・大阪の住吉神社・東京の日枝神社・埼玉の氷川神社の「夏越の祓」は有名だ。

 民間行事としても、この日に川や海の水を浴びて「禊祓(みそぎはらえ・みそぎはらい)」をする行事が広く行われている。牛馬を洗ったり、井戸をさらうなど水に関連した行事が数多く存在する(12月に大掃除をするように、6月にも大掃除をする)。

 何故こんな水に関連した多いのであろうか。それは山青く水清き日本列島の自然環境(東アジアのモンスーン地帯の稲作文化圏でも降雨量の多い国)が、こうした日本独自の「水の文化」「水の信仰」を育んだのだ。

 そして海浜の塩水や河川の清流は、あらゆる罪や穢れを洗い浄める強い浄化力(神道的清浄観)があるとする信仰を生み出すのである(日本人ほど穢れを忌避し、清浄を尊び、若々しい生命力をたたえる民族はないかもしれない)。


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2006年06月28日

◆牛頭からスサノオの古代史、小林よしのりの「わしズムV.5」




◆牛頭からスサノオの古代史、小林よしのりの「わしズムV.5」

◆◇◆わしズムVol.5(幻冬舎)「牛頭(ソシモリ)からスサノオの古代史」

 書店である雑誌(ムック)に目が止まった。雑誌(ムック)のタイトルは「わしズム WASCISM Vol.5」(漫画と思想、日本を束ねる知的娯楽本、幻冬舎)。あの「ゴーマニズム宣言」で知られる小林よしのり氏の責任編集による雑誌(ムック)だ。


 表紙の特集内容を見てさらに興味をそそられた。まさかとは思ったのですが、なんと、ゴーマニズム宣言EXTRA「牛頭(ソシモリ)からスサノオの古代史」とあった。早速買い求めて読むことにした。

 はたしてどんな内容なのか、それ以上に「ゴーマニズム宣言」で、社会問題(差別、宗教、国家、個と公、戦争・・・)を批判を恐れず自身の考えを漫画を通して問題提起してきた小林よしのり氏が、何故日本神話を取り扱おうとしたのか、その中でも何故スサノオを取り上げたのかが気になっのである。当然、スサノオをどのように説明しているかも気になったが・・・。

 始まりは、『古事記』に描かれたスサノオ神話のが紹介からである(「海原を治めよ」との命に泣き喚くスサノオ→アマテラスと誓約=ウケヒするスサノオ)。

 誓約(ウケヒ)で生まれた宗像三女神(田心姫、湍津姫、市杵嶋姫)を祀る辺津宮(宗像大社)や中津宮(大島)を小林よしのり氏が訪ねる旅へと展開(こうしたスサノオへの関心は、小林よしのり氏の生まれ故郷に牛頸=牛首=うしくびがあったこと、神話と古代史に関する疑問から始まる。小林よしのり氏にとってのルーツとアイデンティティへの確認作業である)。

 さらに小林よしのり氏は、日本人とは何か(渡来人とは?、海人とは?、帰化人とは?)、どのようにして日本人は日本人になっていったのかへと疑問と思索が進む。

 関心は朝鮮半島と日本列島を自由に航海し交易をしていた海人、その海人を統率した宗像大社を祀る豪族・宗像君の祖先「胸肩君」と、古代の海路「道中(海北道中)」への関心へ向かう。

 古代の海路「道中(海北道中)」のはるか太古に、小林よしのり氏は日本の創世の風景を思い浮かべるのである(タミル人の渡来と日本語の基礎=ヤマトコトバの成立、稲作・金属器・機織などの文明の伝来など)。

 再度小林よしのり氏は、日本と日本人とは何かを探るため、牛頭とスサノオへの疑問へ戻る。

 牛頭と朝鮮半島のソシモリ(新羅国の曽尸茂梨)、牛頭天王と祇園社の祭神、牛頭天王とスサノオ(須佐之男命・素盞鳴尊)、ソシモリと巨木信仰(御柱祭り)、『日本書紀』のスサノオの記述の真偽?、スサノオと紀氏(紀の国)と海人、スサノオの民間信仰と伝承、などへと時を越えて思索は深まる。

 一つの地名にしても、一つの神名にしても、そこには数百年~二千年以上の様々な経過を辿った歴史と繋がり今日にあるわけだ。

 また、話は高天原で乱暴狼藉をはたらくスサノオに戻り、さらにスサノオの源流を求める。根の国と海上他界、スサノオは紀伊の海人の信奉する神(海上他界のマレビト神)、水沼氏の奉祭する神など。

 旅は中津宮(大島)へ、思いは沖ノ島の古代祭祀へと、脳裏に古代の歴史が甦える。小林よしのり氏は、大島の中津宮の杜(もり)で、スサノオの源流を追う思索の旅の中で、遥か昔の日本と日本人(風土と精神)に思いを巡らす。「日本と日本人はどのようにして、日本と日本人となったのか」と・・・。

 このスサノオという神は、渡来の韓鍛冶部の神、出雲の須佐郷の地方神、荒れすさぶる神の神格、アマテラスの対立概念としての神などいろいろな解釈があるが、『記・紀』神話のスサノオの神格が誕生してくるまでにはもっと様々な変遷と経緯を通して出来上がってきたのだ。

 それは、日本と日本人が形成される歴史とも深く関わる長い時間なのである。

 是非、一読をお勧めする。


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2006年06月27日

◆精霊の王 (2003 講談社 中沢 新一)




◆精霊の王 (2003 講談社 中沢 新一)

 この本は、太古の昔から現代の日本社会へと、歴史を超えて脈々と伝えられている基層信仰の存在を明らかにしようとするものである。

 今でも信州の諏訪地方をはじめ日本各地の神社の境内や路傍にひっそり佇む石の神々、民俗学者・柳田國男の初期の著作である『石神問答』でも紹介される「ミシャクジ」、「シャグジ」とか「サゴジ」などと呼ばれる石の神々のことである。

 実はこの「ミシャクジ」、「シャグジ」、「サゴジ」はこの日本列島にまだ国家も神社もなく、神々の体系すら存在しなかった時代の「古層の神」「基層の神」を今に伝える痕跡ではないかとしている。

 さらに、この「古層の神」は中世あらゆる芸道の守護神とされる「守宮神(しゅぐじん)」(鎌倉時代の説話集『続古事談』)、「宿神(しゅくじん)」となり、太古の昔から人々の意識の地下水脈を流れ続けてきたのだと。

 中沢新一氏は、特に金春禅竹の『明宿集』に語られた猿楽の能の世界に注目。猿楽の能の世界の「翁」とは「宿神(しゅくじん)」であり、霊威激しい「大荒神」であり、天体の中心である「北極星」(宇宙の中心)と考える。

 そして、中世の芸能者が篤く敬った社堂の真後ろにあり前の神仏の霊力の発動を促しつづける神霊こそが、「守宮神(しゅぐじん)」「宿神(しゅくじん)」の変化した存在だとみる。

 日本列島にまだ国家も神社もなく神々の体系すら存在しなかった時代から、王権の発生と国家の形成は、神々の世界を体系化し、多種多様な神々の歴史を消し去ろうとするものであった。

 しかし、体系化し消し去ろうとしても、民衆の意識の中に歴史を超えて脈々と伝えられ続けた信仰は、日本各地の神社の境内や路傍にひっそり佇む石の神々「ミシャクジ」「シャグジ」「サゴジ」として、芸能者の「守宮神(しゅぐじん)」「宿神(しゅくじん)」として、「古層の神」「基層の神」として生き続けてきたのだと。

 太古の昔から現代の日本社会にも(特に芸能の世界に)、縄文の時代の基層信仰が生き続けていると教えてくれる良書である。基層の信仰に関心のある方にお勧めする。


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2006年06月26日

◆宮崎駿の『もののけ姫』、宮崎駿の作品に流れる思想




◆宮崎駿の『もののけ姫』、宮崎駿の作品に流れる思想

◆◇◆宮崎駿監督のアニメ映画『もののけ姫』、宮崎駿の作品と思想

 テレビで宮崎駿監督のアニメ映画が放映されると、高視聴率を取るそうだ。宮崎駿監督のアニメ映画には私たちを惹きつける何かがある。『もののけ姫』という作品に流れる宮崎駿の思想とは・・・。

 この『もののけ姫』という作品は、『千と千尋の神隠し』やその他の作品に比べて、特に宮崎駿監督の思想性が前面に出た作品である。

 宮崎駿監督は、この作品に自分の思い(思想)をストレートに盛り込んでいるようにも思える。気負い過ぎて(いろいろと盛り込みすぎて)、見る側からすると多少窮屈な印象を受けなくもないが・・・。

 どちらかというと、他の作品に比べて遊びが少なく、正面から「自然と人間」という大きなテーマを押してこられるような圧迫感さえ感じる。

 今までの宮崎アニメには、どこかで必ずホッと息を抜けるような場面があったものだが、この作品は見終わるまで気が抜けなかった。

 しかし『もののけ姫』のテーマ「ともに生きろ」(人間は自然と戦いながら生きるしかないのか。自然と人間との共存の道はあるのか)は、『風の谷のナウシカ』の人間による「自然破壊と環境汚染」とその後の「腐海と王蟲の人間への逆襲」として語られ、その意味では宮崎駿監督の思想が一貫して流れているテーマである。


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2006年06月25日

◆宮崎駿の『千と千尋の神隠し』と神道的世界




◆宮崎駿の『千と千尋の神隠し』と神道的世界

◆◇◆宮崎駿の『千と千尋の神隠し』と神道的世界

 アカデミー賞を受賞したアニメーション映画『千と千尋の神隠し』(将来への夢やたくましさを失った現代っ子が、 次々と降りかかる困難を克服しながら、 次第に自分の中にある"生きる力"を呼び覚ましていく様子を力強く描く冒険ファンタジーは、国内では興行成績を次々と塗り替える大ヒットを記録したばかりか、 第五十二回(二〇〇一年)ベルリン国際映画祭ではアニメ作品として初めてグランプリにあたる金熊賞を受賞するなど、宮崎アニメ(「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」「もののけ姫」など)の中でも特に高い評価を受けた傑作である。

 この映画や『となりのトトロ』、前作の『もののけ姫』でも、宮崎監督は精霊や八百万の神々世界を描いている。『となりのトトロ』の「トトロ」は鎮守の社の精霊で、『もののけ姫』の「たたり神」「シシガミ」は森の精霊を、『千と千尋の神隠し』の湯屋には「八百万の神々」が集う。

 そんな日本の神様を、宮崎駿が『となりのトトロ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』で現代に蘇らせているのである。欧米の人々には、こうした日本的神々と神道的世界(神道は、一神的要素も多神的・汎神的要素も含まれる世界である)が理解できるのであろうか? 

 しかし、2001年、宮崎駿氏の『千と千尋の神隠し』がベルリン映画祭で最高賞にあたる「金熊賞」を受賞した。同じく2001年暮れに、映画製作者や批評家らが選ぶ米ナショナル・ボード・オブ・レビュー(全米映画批評会)賞のアニメーション部門賞を獲得。

 そして、2002年3月に発表さたアカデミー賞のアニメーション部門で受賞した。このことは、欧米の人々もこうした世界が理解できる事を示す事例だったと言える。あのアニメ(『千と千尋の神隠し』)の中に描かれているのは、まさしく日本の神々の世界であり、神道的な世界)の現れなのだ。


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2006年06月23日

◆カミと神祭り、太古の息吹・「カミ」と感応し忘我の境地へ




◆カミと神祭り、太古の息吹・「カミ」と感応し忘我の境地へ

 太古より、豊作を祝い大漁を寿ぎ「カミ」に感謝し、またその次の年もよき年であるよう祈願する「神祭り」を行った。

 「神祭り」は、時には熱狂的な非日常的空間を出現させた。

 聖なる山奥の神社の漆黒の闇、何処からこんなに集まったのか、境内は氏子で埋め尽くされる。松明の火が燈され、炎はメラメラと上空へ舞いあがり、暗闇の天空を真っ赤に染める。炎は人を陶然とさせ、次第に氏子たちの顔は紅潮、心臓の鼓動が高鳴る。

 すると、祭りの興奮は最高潮に高まり、氏子たちの体から湧き出た凄まじいエネルギーは、太古の息吹・「カミ」と感応し、忘我の境地へと導く。

 そこには個人という意識は希薄で、すべては一つであり一体である。こうした体験を共有することにより、人々は「カミ」と共にいることと氏子としての絆を再認識する。

 祭りとは太古より、「カミ」を通じて人間を癒し、共同体を維持させてきた、壮大で強力な舞台装置であったのだ。


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2006年06月22日

◆日本と日本人の神観念、自然と共に生きる




◆日本と日本人の神観念、自然と共に生きる

 太古より、日本は四季に恵まれた風土であった。そこに住む我々の祖先の日本人は、自然の恩恵をいただき、自然の恵みに感謝をして生きてきた。

 恩恵をもたらしてくれる自然に、祖先の日本人は、大きな力の働きを感じ取っていた。自然界の森羅万象に大きな力の働きが存在し、我々に恵みを与えてくれると・・、しかしときには、災いを与えると・・・。

 こうした日本人の自然観が即ち、素朴な日本人の神観念を生み出していくのである。

 特に水への信仰は、生きていくには無くてはならないもの、生きとし生きるものを育むものとの観念があった。そして、その水を育むのは、降った雨を大地に蓄える森林の役割であることを、太古より人々は知っていた。

 京都の貴船(きぶね)の地名の起りは、水源の神の鎮まるところ、そこは樹の生い茂った山、「樹生嶺(きふね)」だというわけである。

 だから我々の祖先は、感謝こそしても、決して樹木を粗末には扱わなかった。自然がもたらす恵みに感謝しつつ、自然と共に生きて来たのである。


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2006年06月21日

◆日本の神々の世界(八百万の神々)大自然に宿る日本人の原風景




◆日本の神々の世界(八百万の神々)、大自然に宿る日本人の原風景

 日本の神々の世界(八百万の神々)は、豊かな森と水の日本列島という風土が醸し出した神々の記憶である。私たちは普段、神の存在を意識することなく生活している。

 しかし、気付かなくとも、私たち日本人のものの見方や行動を規定している「何か」がある。その何かとは・・・。

 この日本人の意識の底に眠った記憶とは、太古の昔から今日に至るまで、この豊かな森と水の日本列島という風土のなかで育成されてきた、日本人の精神的遺産である。

 日本の神々の世界(八百万の神々)は、私たちの意識の底に眠った神々の記憶でもあり、大自然に宿る日本人の原風景でもある。

 日本人は太古より、「カミ」の坐す(います)ことを感知し、「カミ」の宿る神木を、磐座(いわくら)を、神体山を信仰してきた。姿なき「カミ」は、おのずと感知されるものでなく、人間の感性の源である「魂」と直接に響きあう存在であったのである。


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2006年06月20日

◆カミと自然への限りなき畏敬、日本人の信仰の原点




◆カミと自然への限りなき畏敬、日本人の信仰の原点

 太古より自然は、人智の及ばない大いなる存在であった。雨風や日照をコントロールすることなど、所詮人間にはできないものであった。

 人間は、それでも自然を征服すべく戦い続けるか、それともうまく折り合いをつけ、自然と柔らかい関係を結ぶしかできなかった。

 豊かな森と水に恵まれた日本列島の日本人は、うまく折り合いをつけ自然と柔らかい関係を結び、自然と共に生きることを選んだのである。

 自然は、無限の恵みを与えてくれると同時に、自然は一瞬のうちにすべてのものを奪い去ってしまう。

 そこで人々は、自然の織り成す森羅万象を「カミ」と呼び、豊作や大漁の豊穣をもたらしてくれた「カミ」をもてなし讃え、荒ぶる「カミ」を畏れ鎮めた。

 人は、太古より自然共に生き、「カミ」と共にあったのだ。


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2006年06月19日

◆メッセージ2




◆メッセージ2

 日本は明治維新後の近代化、戦後の国際化、現代の高度情報化へと西洋的価値観(一神教的価値観)を吸収することに邁進する中(これも日本の文化的特性である寛容性の現れだが)、経済的には大国になりました。

 しかし、気付くと自らの拠りどころ、依って立つ場所、日本人としてのアイデンティティ、日本人の精神的故郷を見失ってしまいました。さも根無し草のようにただ彷徨うような、うわついた軽い存在になってしまったのです。

 海外の文化や伝統を学び受け入れることも必要で重要なことですが、まずは、自らの文化や伝統を理解し、自信を持つ必要があるのではないでしょうか(戦前のような屈折した・閉ざされた民族意識には大きな問題があるが)。

 日本の伝統的文化には、海外に誇れる魅力(人々を魅了し心を惹きつけてやまない生き生きとした文化の魅力=文化力)が多く存在します。まずそのことに日本人自身が気付くことではないかと思います。
 
 元々日本人は古くから、自然の山川草木すべてに様々な神々を見る自然的宗教観を持っていました(神々しい何かの存在を感じとる「神道的感覚」ともいうべきもの)。

 日本人は、自然を人間と対立するものと考えるのではなく、素直に自然の恵みは神々の恵みであると考えたのです。この自然に生かされ神々に生かされ、自然と共に生き、神と共に生きてきたという感覚が、八百万の神々の世界(多神教の世界観)を生み出しました。

 つまり、日本人とっては、人間が住む世界と神々が棲む世界が共有・共存されている国であったのです。しかし、日本の近代化は、この感覚にズレを生じさせ、日本人の精神的故郷を見失わせてしまいました。

 自然は人間の支配のもとに征服・管理する対象(つまり人間と自然を対立するものとして捉える考え)とした西洋的一神教の価値観(アメリカに象徴されるようなキリスト教的文明観、後に近代科学へ)に限界が見えてきました。

 こうした考えは、人間の傲慢さを助長し、歪んだ人間至上主義に陥らせ、修復不可能と思われるほど深刻な環境破壊をもたらします。

 二十一世紀、国際社会や地球環境が危機的状況にある世界にとって、このような自然のすべてに神を認め(山川草木すべてに自律的な神を見るような自然に対する繊細な感性、自然も生命もすべて循環し共生的に存在するというエコロジカルな考え方)、八百万の神を崇め調和していく(八百万の多様なものを包含しうる寛容な精神性)ような日本の伝統的精神文化(神道的精神、日本人のアイデンティティ)が、世界が諸問題を解決し対立から融合の時代に進む上で、大変重要な意味を持つことになるでしょう。

 つまり、私たちのこのような考え方が、民族・文化・宗教などの対立する人々の仲立ちをする役割を果たし得る可能性を持つのです(お互いがお互いを認め合い、一つの文化として尊重し合うような「共存」の意識・思想として)。

 日本仏教ではこれを、「山川草木国土悉皆成仏」(大乗起信論の本覚思想)とか「一切衆生悉有仏性」(涅槃経)といった言葉で表します。自然界のすべてのものには仏性(神性、霊性)が宿り仏になるという意味です。

 これはアニミズムというより、ドイツの文豪・ゲーテや、オランダのユダヤ系哲学者・スピノザや、古代インド宗教哲学書「ウパニシャッド」に見られるような汎神論に近いのかも知れません(ゲーテは思想家でもあり、スピノザは純粋に哲学であり、ウパニシャッドも宗教というより哲学の部類に属すると考えられ、仏教もまた宗教というより哲学・思想として捉える向きもある)。

 また、明治時代に日本に来て、西洋人として初めて出雲大社を昇殿参拝したラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、いろいろな事象の中に神を見出す神道の神感覚を次のように表現しています。

 「この大気そのものの中に何かが在る・・・うっすらと霞む山並みや怪しく青い湖面に降りそそぐ明るく澄んだ光の中に、何か神々しいもの感じられる・・・これが神道の感覚というものだろうか」と。

 ハーンは、空気の中にも、太陽の光の中にも、水や海や山や森や風の中にも「神々しい何か」の存在を感じとるのが「神道の感覚」だといいます。この神道の感覚は、「豊葦原の瑞穂 (水穂)の国」(豊かな葦の生い茂る水と稲穂に恵まれた国)という風土の中で時間をかけて育まれたものなのです。

 いま国際紛争や環境問題を解決するためには、新たな人間と人間、自然と人間、宇宙と人間との関係を再構築しなければならないのかもしれません。

 そのとき、根底(根本・源泉)になるもの(精神原理)は、かつて日本人が保持していた自然に対する謙虚さです(日本人が内在的に備えていた感性・神道的精神とは、多種多様な価値を認めるところにある。自然は多種多様な生命が存在するから美しく豊かなのだ)。

 日本人の自然観(宗教観)は、世界の問題に対して大きなサジェスションや示唆を与えてくれるかもしれません。


スサノヲ(スサノオ)  


Posted by スサノヲ(スサノオ) at 01:04Comments(0)スサノヲの日本学

2006年06月18日

◆メッセージ1




◆メッセージ1

 「日本」とは何か?「日本人」とは何か?が知りたくて、日本と日本人の原点と基層を調べています。

 私は専門的に学んだわけではありませんが、こうしたことに興味を持っています。まだまだ知らないこともたくさんあり、皆さんから多くのことを教えていただきたいと思っています。

 今の多くの人が、あまりにも日本の文化や歴史のことを知らな過ぎ、外からの情報に翻弄され刹那的に行動しています。このような拠り所を失い根無し草のように漂う様を見ていると、しっかりと自分たちのアイデンティティを見つめ直し、日本列島の自然と風土の中で作り出してきた日本人と日本文化を自覚することが必要だと感じるようになりました。

 国際化が叫ばれていますが、本当の意味で国際人になるためにも、自分を自国をしっかり伝えることが出来ての国際化・国際人だと思います。

 特に日本の伝統文化・神話・古代史や地域に残る風習・祭り・行事など、古代人から現代人まで地下水脈のようにつながる精神世界に興味を持っています。日本の地域に残る風習や祭りは、豊かな森と水の日本列島という風土が醸し出した世界観(素朴な神々の世界観)の記憶です。

 私たちは普段、こういう事(古代からの世界観)を意識することなく生活しています。しかし、気付かなくとも、私たち日本人のものの見方や行動を規定している「何か」があります。その何かとは・・・。

 この日本人の意識の底に眠った記憶とは、太古の昔から今日に至るまで、この豊かな森と水の日本列島という風土のなかで育成されてきた「日本人の精神的遺産」です。日本の神々の世界(八百万の神々)や風習・祭り・行事は、私たちの意識の底に眠った神々の記憶(古代の世界観)でもあり、大自然に宿る日本人の原風景でもあります。

 このような、古代から豊かな森と水に恵まれた日本列島とうまく折り合いをつけ、自然と柔らかい関係を結び、自然と共に生きることを選んだ日本人の知恵を学びたいと思っています。

コメントをお願いします。


スサノヲ(スサノオ)  


Posted by スサノヲ(スサノオ) at 15:16Comments(0)スサノヲの日本学